これら一連の儀式は男女児ともに行われたもので、もとは性の区別による儀式の違いはありませんでした。ただ、髪を切ったり袴の紐や帯を結んだりしてあげるのが、男の子には父親、女の子には母親の役目だった、というだけです。まさに子は宝、「銀も金も玉も何せむにまされるたから子にしかめやも」と詠んだ山上憶良の歌が思い出されます。
また、儀式の行われる日取りも、現代のように決まっていたわけではなく、子どもの誕生日などを中心として、陰陽道の占いで吉日を選んで行われていました。掛け替えのない子どもの健やかな成長を祈る気持ちを大切にするなら、七五三は11月だけでなく、その子の誕生日に祝うというのもまた、本来の行事の意義にかなったあり方だと言えましょう。 |
これら一連の儀式の中で、「着袴」は中世から近世にかけて武家社会や町の人々の中でも広く行われるようになりましたが、明治以降は服装の西洋化にともなって一般には行われなくなり、わずかに皇室にその伝統が守られるのみでした。
そして大戦の後、関東で「七五三」と呼ばれる祝いが一般的になりました(昭和10年代頃には今の形があったようです)。
ただし、関西でもこの祝いを広く行うようになったのは最近のことで、京都などでは今でも昔からの「十三参り」を陰暦の3月13日に行うだけということもあるようです。 |